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キリストの香り(24) - 傷とキリスト [Ecclesia Catholica]

(2011日)

シスターは1年間の最後に、思い残すことなく語られたのでしょう。

「傷」を考える。
そして、「キリストの香り」を内から放つ自分であるべく
ヘンリー・ニューマン枢機卿の祈りを紹介されました。

イングランド国教会からカトリックに改宗、枢機卿となり
福者となられた。

自分が神の道具であり、
我欲なく透明であり
それでいて光を放つ祈りでした。
私には作れない祈りです。



----memo

クリスマスと復活祭 という祝日

春分の日の次に来る満月後の日

傷を残したままで復活した

傷とは100%悪いものではない
恥じるものでもない
堂々とみせてもいい

ほしのみちひろ

手足の自由を失い 9年入院 洗礼
口に筆をくわえて詩

傷がなかったら 神様のやさしさ 人のやさしさが


ヒマラヤ あんなぷるやという山  最も危険
成功した人 代償 手足
 エルゾーグ 笑った 失ったものでなく得たものに

まず自分の傷をイエス様に やがて人の傷をみることができる

傷について考えてみること


ヘンリー・ニューマン 枢機卿の祈り

主を 光をおあたえください
私がどこにいても
あなたのかおりを放つことができますように
私をお助けください
私の生活のすべてが 
ひたすら あなたの光を
かがやかすものとなりますように
私のすべてにしみとおり
私をとらえつくしてください
私が出会うあらゆるひとびとが
その光の中にあなたのみ姿を
感じることができますように
私のうちでかがやいてください
主よ ひかりはすべて
あなたからのもの
私からの光などではありません
人々を照らすのはあなたですから
私はただあなたの道具にすぎません
あなたが人々を
この上なく愛されたように
私が周りの人々を
照らすことによって
あなたが賛美されますように
言葉ではなく 私の生き方
私のあなたへの愛によって
あなたをすべての人々に
のべ伝えることができますように」
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カトリックの教え(17) - 聖霊降臨とカトリック教会 [Ecclesia Catholica]

(2012日)

聖霊降臨の日、1日で3000人が洗礼を受けた。
過越祭前からエルサレムにユダヤ人たちが集まり、
イエス様の死と復活を見聞きした人が多かったのでしょう。

死にて墓に葬られ3日後に蘇った。
これを使徒を含め弟子たちが確認したことにより、
殉教者を輩出することとなったのでしょう。




----memo

朝9時 聖霊降臨 異言

3000人

復活祭の50日後の日曜日 教会の誕生日

シモン を ペトロ 岩

266人目の教皇 ベネディクト


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キリストの香り(23) - 天との契約 [Ecclesia Catholica]

(2011日)

「天との契約」により苦しみが苦しみでなくなる。

フランクル著作集から知ったシスターが、
自らもしてみることにされた。

外形的には一方的に決めているだけだが、
聖霊様の働きにより無意識に「契約」となっているのでしょう。

私も「勝手」に結んでいますが、
「かまわない」と知ることができました。

ありがとうございました。



----memo


1997死去 フランクル
ロゴセラピー 心理療法 をあみだした


ある所
妻が先立つ夫 フランクルの元へ

先だった場合受けるであろう妻の苦しみを自分が味わっている
そのことで 苦しみでなくなった

----
フランクル著作集
「天との契約」

44の子 修道院で 
喜んで嫌なことを受けるので母に・・・

善を行って苦しみを受け
それを耐え忍ぶなら
これこそ神の御心に
適うことです

ぺトロの手紙1 2:20

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カトリックの教え(16) - キリストのご復活とご昇天 [Ecclesia Catholica]

(2012日)

細部は覚えていないものです。
しかし、神父は細かく描写されました。

ペテロの3回の話は何度も聞きましたが、
朝に地震があって石を転がした、など、全く覚えてませんでした。

やはり繰り返すことが大事ですね。



----memo


3日目に復活
金の午後 墓の入り口 石

3日目の朝 地震 石を転がした

使徒たちに現れた 使徒1か所 最後の晩餐の部屋でしょう
鍵がかかっていたが真ん中に現れた

平安があるように

あなたたちが許す罪は許される
トマスが留守
後で説明 トマスは信じない
次の日曜の夕方 そのとき トマスはいた
イエス様は トマスに見せた 手と脇腹の傷に
 「信じる者になりなさい」

ガリラヤでも現れられた ペテロに 3回の

エルサレムへ戻った そこでも現れられた
 一つの注意 特別の恵み しばらく待て
 天国へ行くので そこから聖霊を

オリーブ山登って ベタニア 世の終わりまであなたたちと共にいる

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キリストの香り(22) - 祈り [Ecclesia Catholica]

(2011日)

ヨブ記に触れられたが、シスターの解説は
キリスト教の神の厳しさに触れられた。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」(21)

求めても求めた物が与えられるとは限らない。
領収書の祈りで、違うモノであっても感謝の祈りをすること、

もらったカードにヨブ記の聖句とは素直に感謝できないカードだった。
シスターは試練毎に「いただきます」と感謝されたそうだが、
その受け入れる謙虚な態度が必要なのでしょう。




----memo

戦後まもなく しんせい大学 ミッションスクール

ヨブ記の聖句がカードに書かれていた
「主は与え 主は奪う 

キリスト教の神の厳しさ

奪うこともある 

「求めなさい 与えられる 」
が、求めたら求めた物が与えられることはない
きっと良い物を与えるに違いない

求めたものは何ひとつ与えられなかった
 が、祈っていない物を与えて下さった


「だいじょうぶ」どっちに転んでも大丈夫 最後は
手術に臨みなさい 

請求書の祈り をするが、領収書の祈り
ありがとうございました の祈りを忘れてはならない


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カトリックの教え(15) - キリストのご死去 [Ecclesia Catholica]

(2012日)

十字架上のイエス様は、
「救い主なら自分を救ってみろ」と罵られた。

が、目的が全人類を救うことにあり、
手段が、無実なのに十字架で生贄となることだった。

そこから逃れようと思えば可能だった。
が、神様のご計画をぶち壊すことはあり得ない選択だった。





----memo

大祭司 ピラトからイエス様を殺す許可を得る
カルワリオという丘

前の晩 から拷問 衰弱

クレネのシモン 

まず 許しの祈り 自分を殺している人たちへの
敵までも

反対者の侮辱 救い主なら自分を救え

3時ごろ 
 私の魂をあなたの御手に委ねます

大地震 私たちの苦しみや死ぬ時の模範

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キリストの香り(21) - 聖所を持って生きる [Ecclesia Catholica]

(2011日)

 「マリアはこれらのことをことごとく心におさめていた」

母マリアはことごとく、受け入れることを選択された。
「何故ですか?」「神さま、あなたをお恨みいたします」

と言う人ではなかった。
そもそも、「聖母」「神の母」とされるに相応しくない人間に
キリストを誕生させる計画はなかった。

聖人を認めない論理もあるが、神さまは両者を存在させているのでしょう。





----memo

聖書は聖母マリアを多くは語っていない

どの場面でも、聖母はむごいか不可解なこと

「心を剣で刺される」

十字架の下で
 
 「マリアはこれらのことをことごとく心におさめていた」

仕事でブラジル2か月行った

聖所 サンクチュアリ 

相田みつお 
 誰だってある 言わない グチになるから

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カトリックの教え(14) - キリストのご受難 [Ecclesia Catholica]

(2012日)

30からの3年間の公生活で、12人の弟子に教育し
最後の晩餐を経て十字架に向かわれた。

聖書を読み、メシアが自分であることを知り、
十字架にかかることを避けるべく祈りもしたが、
逃げずに逮捕されることを選ばれた。

罪なき者が生贄になることで人類の罪を贖うことになった。
逃げることは物理的に可能であろうが、
神さまの御計画から逃れる選択は無かった。




----memo

30から3年間 イスラエル 
数回 エルサレム
最後の時 ロバにのって ナツメヤシ
  ホザンナ 万歳
 それを見て 祭司 早く殺すべき

が、大勢の前ではなく 少ない時に逮捕しよう

ゲッセマネ ユダは行かなかった
 最後の晩餐

 ユダが接吻する人がイエス
 
 公生活の間に弟子はイエス様にイスラエルの王になってくれ
が、拒否

 
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キリストの香り(20) - 人間理解について [Ecclesia Catholica]

(2011日)

愛と信頼で+面を評価する。
病気を診るか病人を診る医者か、根底に人間愛があるかどうかだった。

口から出る前は、言葉の主人で、
出た後は、言葉の奴隷、とのことでした。

自らの失敗談も語られ、
心の姿勢が引き締められるお話でした。






----memo

生徒への愛と信頼 で生徒は変わる

全国から問題生徒が 立派に卒業

「しか」でなく「なら」で評価する
しかできない ではなく ならできる

教師の心が180度違う

ある母親から手紙
 いたずらさへできない子を持つ親だった
 傷つけた

 病気を見る医者ではなく病人をみる医者になりたい

逆の場合もある。お金や家族や仕事などを見るのではなく、
病気に徹する

 両者は違うが、根底は人間愛だった

折々の歌 
 別人格である2人がしみじみと話し合っても
 他人 分かり合えることはないが、共にすごす

 口から出る前は、言葉の主人
 出ると、言葉の奴隷



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カトリックの教え(13) - キリストの公生活 [Ecclesia Catholica]

(2012日)

病気の治療など奇跡をなされた。
神の子であることを証明するためだった。

その上で、無実で磔刑を選ぶことで、人類の罪の贖いの生贄となられた。
この目的と手段により、罪を許す権威は、イエス・キリストのみに与えられる。
よって、「救い」もイエス・キリストを通さねばならないとなる。

どんな時も、そばにイエス様がいらしてくださる。
これは聖霊様ということなのでしょう。

昇天されたので神の右の座におられ、
別の位格である聖霊様が側にいてくださる。

が、三位一体論の説明を避けるならイエス様と表現するのが
いいのでしょう。





----memo

洗礼後 

多くの弟子ができた
12人を選んだ 使徒
イスラエルの多くを回った

特に強調2
神さまは父で 皆兄弟だ
自分が神であることを証明するために奇跡

ぶどう酒
病気の治療 目 耳 足 3人を復活 

ハヤット神父44回 イスラエル巡礼

特に印象的な出来事 イエス様のご変容
最後に 3人の弟子 高い山の頂上 
 顔は太陽のように輝き 衣は 
 「これは私の愛する子 わがこころに叶う者、彼に聞け」

「あなたと一緒にいる」超自然的に
私の心においでになるのです

病気のときでも、信仰があれば、それほど気にしない

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