So-net無料ブログ作成

音声で聴く 「キング牧師の名言」20話 [映像]

(2014日)

何回か部分的に聞いたことはありましたが、
改めて、静かな環境で目を瞑って聴きました。


地獄の一番熱い所を用意されているのは、中立を言う者たちとか、
結局、敵の言葉よりも、覚えているのは、友人の沈黙、


言葉は違いますが、そういうことですね。

「炎の名言集」でした。



nice!(0)  コメント(0) 

日本人とキリスト教「和訳聖書の歴史」ナレーション入り [映像]

(2017日)

まず、ドイツ宣教師カール・ギュツラフの試みが説明される。
その後、ヘボンの生涯が語られた。

敬愛の方でした。

奥野昌綱の貢献も素晴らしかった。

短くコンパクトにまとめられています。



----memo

カール・ギュツラフ

ドイツ宣教師 東南アジア中国
 日本人漂流民と出会い
  ヨハネ伝

 異国船打ち払いで

 その頃 ヘボン 医大 1841 26歳 
 中国へ マラリア 断念 帰国後ニューヨーク 成功

 come here to help us

日本開国 宣教医として 
 
 1858秋 神奈川上陸 成仏寺
  無料で病気の治療 日本の風習と言葉を学んだ

 性病が多かった

 横浜外国人居留地へ 妻英語塾
  医学数学地理歴史「ヘボン塾」
  明治学院大学 フェリス女学院

 まず和英辞典 7年7か月 日本初の

 ブラウンらと共に福音書翻訳

m6 禁令高札撤去

  新約全体の翻訳へ

 奥野昌綱 手伝う サムライ・クリスチャン

 1876 小川よしやす共に 按手礼で牧師 初の

1880 文語訳聖書完成 

  一時、リュウマチで帰国が、再来日

1887 大晦日 新旧約聖書完成

妻の病気のため帰国
 
1991 96歳 
nice!(0)  コメント(0) 

シク教についての簡単な説明. Sikhi explained in Japanese [映像]

(2015日)
5番目に大きい宗教のようです。
大阪へ留学されていたそうで、
日本語でがんばって説明して下さいました。


nice!(0)  コメント(0) 

あなたの知らない世界史『ロシアの怪人ラスプーチン』 [映像]

(2010米)

ロシア公文書の中に、事件直後の写真があった。

犯人は、ロシア帝国貴族のユスポフ。事件から10年を経て証言を公開したようだ。

中庭に積もった雪に血痕の写真
川から引き揚げられた直後の写真
殺害直後の生々しい写真

が、法病理学と弾道学からユスポフの証言とは一致しなかった。

ユスポフはオックスフォードに留学していたが、
そこでの友人が、イギリス諜報部員となり、ロシアの軍服を着ることとなっていた。

写真からは遊び人には見えなかったですね。
-----
彼は妻を捨てて信仰に走るという、釈迦のような不道徳をやらかし、特殊能力を得た。
さらに、貴族社会で不倫に走ったようだ。
こういうことを神さまがお喜びになるはずがない。

このラスプーチンを皇帝夫妻は重宝し国を傾かせた。
カトリック国であれ正教国であれ、乱れれば神様は滅ぼしにかかられる。

そして、ヘブライ語聖書に度々記されてるがごとく、
完全に滅ぼされることなく、残りの者に復活させる。
まさに、聖書の実現のようなことが起こっている。
-----
本日の↓投稿に追加
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2017-11-19-1


nice!(0)  コメント(0) 

ユダヤ人に取ってイエスとは? [映像]

イエスをメシアと認めないユダヤ人なので、
皆、似たり寄ったりの評価だと思ってましたが。
概ねは予想範囲内でした。

最後の人は、隣人愛と平和を主張した立派な人だと本心で思っているようだ。
真面目な肯定的表現だったので、人の考えは違いがあると改めて確認しました。

「へぇ~」と思えてよかったです。



nice!(1)  コメント(0) 

その時歴史が動いた 怒れる民よ、信長を討て! 〜浅井長政 逆襲の京都包囲作戦〜 [映像]

(2008日)浅井長政一代記。
1545年に久政の子として生まれるが、六角の風下となっており家中不満だった。
16で六角に反旗を翻し、勝利する。そして父を隠居に追い込んだ。

一方、尾張の信長は、美濃に野心があり、将来の上洛を睨むにせよ、
浅井との同盟は望ましく、妹のお市を嫁がせるに長政は立派な青年だった。

が、信長が朝倉を上洛させて配下にしようと企んだのを朝倉が拒否したのを機に、
徳川と朝倉攻めに入った。

浅井と織田の同盟関係を結ぶ際の約束違反でもあり、
長政は信長を討つことにした。この金ヶ崎の戦が、信長最大のピンチで、
ここで逃がさなければ、歴史は全く違っていた。

その後、当然に戦となる。浅井・朝倉 x 織田・徳川の野戦となる。
この姉川の戦いで敗れた浅井は北近江に籠るが、
地の利と善政で領民に慕われていた浅井はここから反撃をすることができた。

「信長包囲網」を形成していく。延暦寺や石山本願寺を味方につける。
が、信長は「勅命講和」を使って長政と終戦とさせながら延暦寺を焼き討ち。

そして、東で武田信玄が死ぬことで、織田・徳川は朝倉を討つ余裕ができ
ここに浅井長政は完全に包囲されることとなった。

再三の降伏勧告を拒否。
恐らく妻子に生きることを命じ、長政は自害した。

----
長政の3歳上の姉京極マリアが京極高吉に嫁いだ。
が、1560年に六角側で長政と争うこととなり北近江の領地を失っている。
その後に信長に子どもを人質にだしている。

1581年に夫婦で洗礼を受けているが、信長全盛期でした。
1587年の秀吉の追放令を超えても、子どもたちに受洗させている。

戦国時代で救いを求めるなら、当時なら1択でしょう。

マリアは登場しませんが、
関連動画は皆無に近いでしょうから、彼らの心境理解の補助となるでしょう。
----
先日の↓投稿に追加
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19


浅井長政・京都包囲作戦・その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus

ザ・プロファイラー 狼のように激しく 草原のように優しく チンギス・ハン [映像]

(2014日)後に皇帝となるテムジン(本名)は誇り高く、少年期に食料を奪われたという理由で異母兄弟を殺した。
それが、公正という正義と、許せない人間への残虐性という二面性を持つ人格となった決定的事件だったのでしょう。

父が殺され、一家は苦労することとなる。
やがて、彼が大人となりリーダーとなり群れを率いることとなるが、
生計の基本は羊や牛馬の遊牧生活で、肉と乳で栄養を得るが、
他集団を襲って、食料や衣服を奪うことも、当時は当然だったようだ。

彼は、服従する者には寛大だったが、抵抗する者には不必要に残虐だった。

彼の一代記でしたが、土地に根を下ろした農耕を基盤とする国からしたら、
最悪の野蛮人でしょう。

----
16世紀ロシアの雷帝の頃の宮廷の3分の1が、蒙古の血を引いていたようだ。

スラブのロシア正教の顔もあれば、モンゴルのハンだった血の流れも
現在も濃く継がれているのでしょう。
昔話として見るべきではないでしょうね。

----
先日の↓投稿に追加しました。
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2017-07-07


Pファイラー チンギスハン20141001 投稿者 okura1919ppp

その時歴史が動いた 新聞誕生 〜幕末・ジョセフ彦の挑戦〜 [映像]

(2006日)両親を失った彦太郎は13で義父の船で海に出るも難破し、
アメリカの商船に助けられカリフォルニアで育つこととなった。

良い家庭に預けられ5年間教育を受け、カトリックの洗礼も受けた。
日本に戻れば捕まるので、アメリカ国籍を取得。日本人第1号だった。

彼は第15代米大統領のブキャナンと後に次のリンカーンとも会う。

1859年に駐日公使のハリスに採用され神奈川領事館通訳となった。
彼は外国人だったので居留地の外に出ることができず故郷に帰れなかった。

彼は諸外国の「事実」を日本人に伝える必要を自分の義務と考えたのでしょう。
日本の瓦版では到達していなかったレベルの「新聞誌」を発行した。
福沢諭吉も読んでいた。

「新聞の父」となった。

----

神さまは、彦太郎の遭難とアメリカ商船を引き合わせ、助けた。
カリフォルニアで裕福な家庭で育てさせ、洗礼に至らせた。

そして、日系アメリカ人として日本に新聞を持ち込ませた。
通訳や事業は生計目的だろうが、「新聞誌」は採算を超えた使命感でしょう。


神さまは、精霊として個々人に働きかけられるのは、
宗教宗派を超えられるということでしょう。

「救い」が与えられるのは、所属教団で決まるのではない。
カトリックで救われる人もいれば、救われない人もいる。
それは他も同じでしょう。

いろいろな人がいるが、私が彦と同じ船に13で乗ってたら、
どうなってたのでしょうね。
英語で躓き、悲惨だったやもしれません。

----
昨日の↓投稿に追加
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2017-07-01

hiko.jpg
http://jp.channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=videomilk&prgid=39512886

50年戦争 イスラエルとアラブ 最終回 共存への一歩 ~相互認知 そして逆風~ [映像]

(1998日英)1991年のマドリード会議はPLOを排除したので進展はなかった。
1992年の選挙で労働党政権となりラビンが首相となる。
翌93年にノルウェーでPLOと秘密交渉をする。
この動画はその詳細が残されている。
そしてオスロ合意となる。

アラファトをテロリストからパレスティナ大統領と事実上認めることで、
イスラエルは生存権を認めさせた。

翌年にラビンとアラファトが平和賞を獲得するが、
95年11月にラビンが和平反対派に「裏切り者」として暗殺される。

と、10行程度で書く事実の裏で多くの人間模様があったことが
記録された貴重な映像でした。
計6回5時間、私にとっては重厚でしたが、最低知識+毛なのかもしれません。

----

現在のシリアにしろイスラエルにしろ、
1947年の国連パレスチナ分割決議、翌年の独立、第1次中東戦争から、
オスロ合意までの歴史をあまり知らずにニュースを見聞きしてましたが、表層的な理解でしたね。

今回、ほとんど覚えてなくとも、計5時間を釘付けになって観たということが
有意義だったと、信じたいですね。

----

先日の↓投稿に追加
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2017-06-08

osuro.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=RlzxMN8ib9Q

征服する世界史 中世ヨーロッパ編 ビザンツ帝国 [映像]

(2016日)youtube散策しているとこの動画が登場し、
14分と短かったので見ることにした。

「征服する世界史」というシリーズだそうだが、
今回、「ビザンツ帝国」で初だった。

覚えることが少なく、395年~1453年まで存在したこと、
全盛期、6世紀初めにユスティニアヌス大帝時代に
ハギア=ソフィア聖堂が作られたこと、
ヴァンダル王国と東ゴート王国を滅ぼした程度だそうだ。

センター試験レベルということだろうか。

受験勉強の動画に楽しいと思えました....(以下略)

----

このビザンツ帝国の聖歌が現在に伝わってるというのは感動そのものです。
1453年に滅び、モスクワ大公国イヴァン3世の妻にビザンツ皇帝の姪が嫁ぐ。
その伝統があるからこそ、GHQ占領下の日本正教会の小野府主教が
アメリカ正教会の指揮下に入るようGHQの指導があったのに対し
ソ連の弾圧下にあるロシア正教を離れることを拒んだのかもしれません。




----
先日の↓投稿に追加
http://1rin.blog.so-net.ne.jp/2017-05-20