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キリストの香り(12) - 小さな死 [Ecclesia Catholica]

(2011日)シスターの父が2・26で殺されたが、
関西の番組で殺された側で出演依頼があり、
何度も断り仕方なく出たら殺した側がいたそうだ。
最低の屑番組ですね。時間が経っているとはいえ、
土足でシスターの反応を試し晒し、それで視聴率を得、収入に変換した。

が、こういうのは神の所有物を侮辱する行為なので、
赦されない罪で、私がどうするまでもなく、
知っていた人間には適切な不幸があるのでしょう。




----memo


9歳 
s11年2.26 家を襲撃
父が陸軍軍人に殺された

6時

軽機関銃の音 生涯忘れない
数分で死んでしまった

43発の鉛の玉ではなく 人を殺すのは背後で打たせた人の心

修道院入って20年たった頃 テレビで
何度も断り 仕方なくでたら 殺した側がいた

コーヒーいれてくれたが1滴も飲めなかった。

赦すと言葉で言っても、身体が許していなかった
同時に父の血が流れていることにうれしかった

赦すことは難しいと
が、もっと難しいのは悪意の塊のような人たち

華々しい死ではなく、毎日のチクチクした痛みを笑顔で受けること

修道院から50年 「小さな死」自分の一つのモットー

リハーサルを繰り返す 小さな死を繰り返す
そのことで大きな死を迎えることができる?

口で「小さな死」と呟くことで意味あるものに変えることができる

人に殺されるのではなく、主体性をもって死ぬ
意味のある死に変えることができる

八木重吉


ヨハネ12-24
「一粒の麦は地に落ちて死ななければ一粒のままである
 だが死ねば多くの実を結ぶ」

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