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第14章 32-72 父の御意 [マルコ伝]

最後の晩餐の後、ゲツセマネというところでイエスは祈る。
ペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人のみを連れている。

イエスは、逃げることが可能であることを承知しているが、
自分がメシアであることの聖書での予言にあるごとく神の意思に従うこと、
神と人を愛するが故、人類の罪を贖うために死を受け入れている。

しかし、死を前にして、弟子が逃げたり、自分を「知らない」と言うこともわかっていたため、哀しく寂しい気持ちであったことは私たちの想像以上のものだろう。

34
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"My soul is overwhelmed with sorrow to the point of death," he said to them. "Stay here and keep watch."
彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」
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イエスの命令ではあるが、心からのお願いだろう。
しかし弟子たちは、眠りこける。


35
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Going a little farther, he fell to the ground and prayed that if possible the hour might pass from him.
少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
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「the hour」=「贖罪の死」

「可能ならば、贖罪の死以外の方法があるのなら、神さま、お願いします。」

ということなのだろう。
イエスも自分の死で、福音を弟子たちが語り継ぎ人類の罪が贖われることで磔刑も覚悟するが、人間としてやはり他の手段で可能ならば苦痛は受けたくないのは当然だろう。

そんな気持ちを弟子たちは知らずに眠りこけ、それも含めて後に弟子たちの胸の張り裂けんイエスへの申し訳ない気持ちとなったのだろう。

36
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<"Abba>, Father," he said, "everything is possible for you. Take this cup from me. Yet not what I will, but what you will."
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
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杯=苦杯 

逃げることも可能ではあるが、それでもイエスは神に服す。

「それが神の意思であるならば、どうしようもない」

ということなのだろう。
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