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あなたの知らない世界史『ロシアの怪人ラスプーチン』 [映像]

(2010米)

ロシア公文書の中に、事件直後の写真があった。

犯人は、ロシア帝国貴族のユスポフ。事件から10年を経て証言を公開したようだ。

中庭に積もった雪に血痕の写真
川から引き揚げられた直後の写真
殺害直後の生々しい写真

が、法病理学と弾道学からユスポフの証言とは一致しなかった。

ユスポフはオックスフォードに留学していたが、
そこでの友人が、イギリス諜報部員となり、ロシアの軍服を着ることとなっていた。

写真からは遊び人には見えなかったですね。
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彼は妻を捨てて信仰に走るという、釈迦のような不道徳をやらかし、特殊能力を得た。
さらに、貴族社会で不倫に走ったようだ。
こういうことを神さまがお喜びになるはずがない。

このラスプーチンを皇帝夫妻は重宝し国を傾かせた。
カトリック国であれ正教国であれ、乱れれば神様は滅ぼしにかかられる。

そして、ヘブライ語聖書に度々記されてるがごとく、
完全に滅ぼされることなく、残りの者に復活させる。
まさに、聖書の実現のようなことが起こっている。
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ユダヤ人に取ってイエスとは? [映像]

イエスをメシアと認めないユダヤ人なので、
皆、似たり寄ったりの評価だと思ってましたが。
概ねは予想範囲内でした。

最後の人は、隣人愛と平和を主張した立派な人だと本心で思っているようだ。
真面目な肯定的表現だったので、人の考えは違いがあると改めて確認しました。

「へぇ~」と思えてよかったです。



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その時歴史が動いた 怒れる民よ、信長を討て! 〜浅井長政 逆襲の京都包囲作戦〜 [映像]

(2008日)浅井長政一代記。
1545年に久政の子として生まれるが、六角の風下となっており家中不満だった。
16で六角に反旗を翻し、勝利する。そして父を隠居に追い込んだ。

一方、尾張の信長は、美濃に野心があり、将来の上洛を睨むにせよ、
浅井との同盟は望ましく、妹のお市を嫁がせるに長政は立派な青年だった。

が、信長が朝倉を上洛させて配下にしようと企んだのを朝倉が拒否したのを機に、
徳川と朝倉攻めに入った。

浅井と織田の同盟関係を結ぶ際の約束違反でもあり、
長政は信長を討つことにした。この金ヶ崎の戦が、信長最大のピンチで、
ここで逃がさなければ、歴史は全く違っていた。

その後、当然に戦となる。浅井・朝倉 x 織田・徳川の野戦となる。
この姉川の戦いで敗れた浅井は北近江に籠るが、
地の利と善政で領民に慕われていた浅井はここから反撃をすることができた。

「信長包囲網」を形成していく。延暦寺や石山本願寺を味方につける。
が、信長は「勅命講和」を使って長政と終戦とさせながら延暦寺を焼き討ち。

そして、東で武田信玄が死ぬことで、織田・徳川は朝倉を討つ余裕ができ
ここに浅井長政は完全に包囲されることとなった。

再三の降伏勧告を拒否。
恐らく妻子に生きることを命じ、長政は自害した。

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長政の3歳上の姉京極マリアが京極高吉に嫁いだ。
が、1560年に六角側で長政と争うこととなり北近江の領地を失っている。
その後に信長に子どもを人質にだしている。

1581年に夫婦で洗礼を受けているが、信長全盛期でした。
1587年の秀吉の追放令を超えても、子どもたちに受洗させている。

戦国時代で救いを求めるなら、当時なら1択でしょう。

マリアは登場しませんが、
関連動画は皆無に近いでしょうから、彼らの心境理解の補助となるでしょう。
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浅井長政・京都包囲作戦・その時歴史が動いた 投稿者 byzantinedeslergreatbasileus

ザ・プロファイラー 狼のように激しく 草原のように優しく チンギス・ハン [映像]

(2014日)後に皇帝となるテムジン(本名)は誇り高く、少年期に食料を奪われたという理由で異母兄弟を殺した。
それが、公正という正義と、許せない人間への残虐性という二面性を持つ人格となった決定的事件だったのでしょう。

父が殺され、一家は苦労することとなる。
やがて、彼が大人となりリーダーとなり群れを率いることとなるが、
生計の基本は羊や牛馬の遊牧生活で、肉と乳で栄養を得るが、
他集団を襲って、食料や衣服を奪うことも、当時は当然だったようだ。

彼は、服従する者には寛大だったが、抵抗する者には不必要に残虐だった。

彼の一代記でしたが、土地に根を下ろした農耕を基盤とする国からしたら、
最悪の野蛮人でしょう。

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16世紀ロシアの雷帝の頃の宮廷の3分の1が、蒙古の血を引いていたようだ。

スラブのロシア正教の顔もあれば、モンゴルのハンだった血の流れも
現在も濃く継がれているのでしょう。
昔話として見るべきではないでしょうね。

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Pファイラー チンギスハン20141001 投稿者 okura1919ppp

その時歴史が動いた 新聞誕生 〜幕末・ジョセフ彦の挑戦〜 [映像]

(2006日)両親を失った彦太郎は13で義父の船で海に出るも難破し、
アメリカの商船に助けられカリフォルニアで育つこととなった。

良い家庭に預けられ5年間教育を受け、カトリックの洗礼も受けた。
日本に戻れば捕まるので、アメリカ国籍を取得。日本人第1号だった。

彼は第15代米大統領のブキャナンと後に次のリンカーンとも会う。

1859年に駐日公使のハリスに採用され神奈川領事館通訳となった。
彼は外国人だったので居留地の外に出ることができず故郷に帰れなかった。

彼は諸外国の「事実」を日本人に伝える必要を自分の義務と考えたのでしょう。
日本の瓦版では到達していなかったレベルの「新聞誌」を発行した。
福沢諭吉も読んでいた。

「新聞の父」となった。

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神さまは、彦太郎の遭難とアメリカ商船を引き合わせ、助けた。
カリフォルニアで裕福な家庭で育てさせ、洗礼に至らせた。

そして、日系アメリカ人として日本に新聞を持ち込ませた。
通訳や事業は生計目的だろうが、「新聞誌」は採算を超えた使命感でしょう。


神さまは、精霊として個々人に働きかけられるのは、
宗教宗派を超えられるということでしょう。

「救い」が与えられるのは、所属教団で決まるのではない。
カトリックで救われる人もいれば、救われない人もいる。
それは他も同じでしょう。

いろいろな人がいるが、私が彦と同じ船に13で乗ってたら、
どうなってたのでしょうね。
英語で躓き、悲惨だったやもしれません。

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hiko.jpg
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50年戦争 イスラエルとアラブ 最終回 共存への一歩 ~相互認知 そして逆風~ [映像]

(1998日英)1991年のマドリード会議はPLOを排除したので進展はなかった。
1992年の選挙で労働党政権となりラビンが首相となる。
翌93年にノルウェーでPLOと秘密交渉をする。
この動画はその詳細が残されている。
そしてオスロ合意となる。

アラファトをテロリストからパレスティナ大統領と事実上認めることで、
イスラエルは生存権を認めさせた。

翌年にラビンとアラファトが平和賞を獲得するが、
95年11月にラビンが和平反対派に「裏切り者」として暗殺される。

と、10行程度で書く事実の裏で多くの人間模様があったことが
記録された貴重な映像でした。
計6回5時間、私にとっては重厚でしたが、最低知識+毛なのかもしれません。

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現在のシリアにしろイスラエルにしろ、
1947年の国連パレスチナ分割決議、翌年の独立、第1次中東戦争から、
オスロ合意までの歴史をあまり知らずにニュースを見聞きしてましたが、表層的な理解でしたね。

今回、ほとんど覚えてなくとも、計5時間を釘付けになって観たということが
有意義だったと、信じたいですね。

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osuro.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=RlzxMN8ib9Q

征服する世界史 中世ヨーロッパ編 ビザンツ帝国 [映像]

(2016日)youtube散策しているとこの動画が登場し、
14分と短かったので見ることにした。

「征服する世界史」というシリーズだそうだが、
今回、「ビザンツ帝国」で初だった。

覚えることが少なく、395年~1453年まで存在したこと、
全盛期、6世紀初めにユスティニアヌス大帝時代に
ハギア=ソフィア聖堂が作られたこと、
ヴァンダル王国と東ゴート王国を滅ぼした程度だそうだ。

センター試験レベルということだろうか。

受験勉強の動画に楽しいと思えました....(以下略)

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このビザンツ帝国の聖歌が現在に伝わってるというのは感動そのものです。
1453年に滅び、モスクワ大公国イヴァン3世の妻にビザンツ皇帝の姪が嫁ぐ。
その伝統があるからこそ、GHQ占領下の日本正教会の小野府主教が
アメリカ正教会の指揮下に入るようGHQの指導があったのに対し
ソ連の弾圧下にあるロシア正教を離れることを拒んだのかもしれません。




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ロシアはモンゴル帝国の継承者 [映像]

(1992日)NHKスペシャル「大モンゴル」の抜粋。全2時間半中の約12分。

ロシアに関する部分を抜粋している。↓は12世紀のモスクワの様子。
まだ木造だったようだ。

100程の教会があったが、モンゴル来襲後、イヴァン1世の活躍があり、皮肉にも町が発展し250程に増える。

3世の時に滅んだビザンツの皇帝の姪を妻にし、ローマ帝国の後継国家となった。
この時点で正教の本山があったコンスタンチノープルが失われたので、
ロシア正教が正教を継承していくに格別の強い責任感と誇りをもったようだ。

4世のツァーリである雷帝の頃の宮廷では、3分の1が蒙古の血だった。
彼は計画を実行して蒙古(ハン)の顔も持った。

抜粋ではあるが、ロシアの2つの顔を紹介した動画。

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話は飛ぶが、1956年10月19日「日ソ共同宣言」が出されるにあたり、
鳩山一朗や河野一郎が確かクレムリン大宮殿に入ったが、
河野は通訳無しで1人でフルシチョフと談判した。

河野が歴史的な権力の伏魔殿を日本人1人で歩いたことが
感慨深かったようだ。

私は↓の動画を見て鳩山や河野が浮かんだが、
彼らが涙したのが、舞台が歴史的なクレムリンだったことも1つあるのでしょう。

クリスチャンの鳩山が、ロシア正教を弾圧していたソ連・フルシチョフと交渉し、
「日ソ共同宣言」にて自分の仕事を完成させた。

抑留日本人を帰還させ、国連加盟を果たす。
領土は、別文書で継続交渉に含みをもたせる形で後世に託した。

上の鳩山や河野の話に限らず、何か別の話が頭にあれば、
この12分の動画も感慨深いと思います。

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moscow.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=Ads1Mcw5k58

ナチ、悪魔教の秘密結社 [映像]

ナチス幹部も産み出した秘密結社があった。
1918年に「ブリル協会」が誕生する。秘密の儀式で乱交も含む組織だった。

ヒムラーが熱心だった。
自分の12歳の娘に収容所を見学させたりと、普通では考えにくい。

ドイツは地下資源に恵またワケではなかったので、
ナチスはブリルという神秘的エネルギーを本気で求めた。

秘密結社と言うが、2桁のグループなぞ、世界中に無数にあるだろう。
が、ここでは霊媒という聖書的にはマズイ職業人も含んでいる。
人種差別や性的快楽を含んだ組織に関わるとロクでもないことになるでしょう。

他の組織は名程度で、関係を掘り下げて調べるわけではない。
動画は、秘密結社初心者編という程度でしょうね。

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ナチスがキリスト教をベースにしているという勘違いがあるが、
全く異なる。

秘密結社があり、幹部グループが交霊会に参加しているだのあるが、
死者と会話するなぞ聖書を読めば考えられない。
霊能者が霊言するのは、摂理に反しており、悪霊に遊ばれ消耗してしまうでしょう。

このブログで取り上げるには相応しくないでしょうが、
興味本位の死者との交流や性的快楽を求めるグループにはお気をつけください。

まぁ、このようなマイナーなブログの読者は、
倫理面でブレーキがかかるので、大丈夫でしょう。


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akumasuhai.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=2L2WOPFGMNw

日本に於けるロシア正教会 [映像]

(2013日)16世紀からの日本における正教とのかかわりを概観する。

前半は聖ニコライの半生を主に扱う。
彼は25歳で来日、函館にあるロシア帝国領事館の付属礼拝堂の司祭に自ら志願した。

1861年に着任し1912年2月に亡くなる約50年間、寄付を集めるために2回ロシアに帰っただけで、日本に骨を埋めたと言ってよかった。
日露戦争時、ただ1人だけ日本に残る。

ロシア人捕虜約7万人のために福音書の装丁を自らの手で行った。
当時70弱だった。
明治45年2月、天皇より「恩賜」を賜った。

後半は、GHQ占領下の日本正教会が、ロシア正教会か、アメリカ正教会の指導下に入るかが争われることとなるが、当時の小野府主教はモスクワと一体となることを選んだ。

現在、ロシア正教会の庇護下である日本正教会の歴史を学ぶにマストなドキュメンタリー。

制作:聖グリゴリー・ボゴスロフ慈善基金。
2013年に聖ニコライ100年を記念してキリル総主教が来日、
その映像とインタビューもなされている。

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聖ニコライへの敬愛が日本正教会の存在と不可分で、
小野府主教がモスクワとの関係を重視したのも、
スターリン体制下のロシア正教会が壊滅的に破壊され、
ここでアメリカを選びたくなかったのかもしれません。
人脈的な観点以上に、深い情なのかなと思いました。
詳細は分かりませんが、簡単に分からないことでしょうね。

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