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第16章 1-24 呪いの言葉 [コリント前書]

最終章、ほぼ挨拶。

22
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If anyone does not love the Lord--a curse be on him. Come, O Lord !
主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。マラナ・タ(主よ、来てください)。
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パウロといえども、呪った。

綺麗な言葉だけを話すのは信じがたいし、
呪いの言葉が多いのは論外である。

たまに、本音が垣間見える位が人間らしくもあり、
逆に信じようと思える。

第15章 1-58 変身! [コリント前書]

パウロが言う。

51
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Listen, I tell you a mystery: We will not all sleep, but we will all be changed--
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
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一瞬のうちに「不滅」となるらしい。(52)

ワクワクしないなぁ。

第14章 1-40 預言を求める [コリント前書]

コリントの教会では、トランス状態になって理解不能な言葉を話すことを好んでいた。
パウロは預言を求めることの方が大切だとした。


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Therefore, my brothers, be eager to prophesy, and do not forbid speaking in tongues.
わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。
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禁止はしなかったが、優先順位をつけた。

「預言」を求めるというのは、神さまから何らかの言葉を頂くために祈るということなのでしょう。

第13章 1-13 信仰・希望・愛 [コリント前書]

13
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And now these three remain: faith, hope and love. But the greatest of these is love.
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
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ちょっと数年前までは、「信仰・希望・愛」と書いているブログを見て、
めでたいな」と思ったものです。

第12章 1-31 役割 [コリント前書]

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The eye cannot say to the hand, "I don't need you!" And the head cannot say to the feet, "I don't need you!"
目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。
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異なる役割が与えられ、調和により成立する。
オーケストラですね。

第11章 1-35 聖餐と罪 [コリント前書]


聖餐にてパンを食べるに際し、洗礼を条件とする教会がある。
むしろ普通はそうだろう。
その意味を理解し、聖餐に与りたいという意思があれば、本来はOKなはずである。

が、洗礼を条件としているのも、その資格のない者のためでもある。

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Therefore, whoever eats the bread or drinks the cup of the Lord in an unworthy manner will be guilty of sinning against the body and blood of the Lord.
従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。
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キリスト教に限らず、何らかの儀式で意味も分からず飲み食いするのは冒涜でしょう。

第10章 1-33 単なる形式 [コリント前書]

犠牲に捧げられた動物を食べることは、およそ全世界で見られたことなのでしょう。
パウロはイスラエルを例にだした。

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Consider the people of Israel: Do not those who eat the sacrifices participate in the altar?
肉によるイスラエルの人々のことを考えてみなさい。供え物を食べる人は、それが供えてあった祭壇とかかわる者になるのではありませんか。
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そこで「祭壇」として「エホバ」としなかったのは、
すでに、外形の形式的な儀式になっており、内面的な信仰ではなかったからのようだ。

ここで、本当は敬虔な信徒もいたかもしれない、という疑問が生ずるが、
本当に敬虔な信徒は、イエスがメシアだと理解できたはず、というのが、
共通理解のようだ。

第9章 1-27 ヤミ専従 [コリント前書]

パウロは別の仕事をしながら福音を述べていたようだ。
(時期は分からない)

通常、歴史に登場する人間は「専従」が普通だろう。
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If we have sown spiritual seed among you, is it too much if we reap a material harvest from you?
わたしたちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉のものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか。
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公務員でありながら、その仕事をせず、組合活動に専念するのを「ヤミ専従」と言うようだが、パウロが公務員であったのなら問題だろう。

第8章 1-13 「踏み絵」を踏んでもかまわない [コリント前書]

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So then, about eating food sacrificed to idols: We know that an idol is nothing at all in the world and that there is no God but one.
そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。
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「気にするということが、影響されてるのだよ」

ということで、気にせず食べればいい話。


だから本当は、江戸時代のキリシタン弾圧の「踏み絵」は踏んでもよかった。
「絵」に影響されていること自体が偶像崇拝であるらしい。

第7章 25-40 パウロの私見だが、 [コリント前書]

パウロは結婚に関する私見を述べた。

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Now about virgins: I have no command from the Lord, but I give a judgment as one who by the Lord's mercy is trustworthy.
未婚の人たちについて、わたしは主の指示を受けてはいませんが、主の憐れみにより信任を得ている者として、意見を述べます。
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独身であれ結婚するのであれ、どっちでもいいのだが、
独身の方が神との関係で言えばベターだとした。

その見解をあくまで私見とし強制する訳でもなく、
独身であるパウロから全ての人に気遣われた言葉であった。
この見解で救われた人も多いだろう。尊い。
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