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第24章 1-53 お前はアホか♪ (完) [ルカ伝]

復活後、イエスは2人の弟子が歩きながら会話しているところに入った。
しかし、彼らは気づかなかった。
顔をチラッと見ることもあるだろうが、それでも気づかない。

死んだ以上、当然ではある。
とうとう、イエスは言った。

25
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He said to them, "How foolish you are, and how slow of heart to believe all that the prophets have spoken!
そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
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いつもの人格否定である。自分に言われているようでもある。
が、今回は悪い感じはしませんでした。
生前のイライラ感はありません。むしろ逆で、笑っているのかもしれません。


やっと、ルカ伝終えました。
今季、24章37回、6割4分、これはいけません。
善行も大事ですが、1日1章を楽勝にすべきでしょう!

第23章 1-56 イエスの方便 [ルカ伝]

十字架上のイエスの横にいた罪びとが悔いて、イエスを信じた。
共に死の直前のことである。

43
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Jesus answered him, "I tell you the truth, today you will be with me in paradise."
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
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刑務所の囚人が「悔い改めました」と面会人に言っている映画の1シーンを思い出しました。
それは偽装でしょうが、聖書のこの罪人は本心で悔い改めた。

本心の場合、
①死の直前でもかまわない。
②信仰のみ。儀式は不要。
そしてキリストと共にいることで救われる。

パラダイスはキリスト教の考えでは「再臨後」の話で相応しくないようだ。
しかし、当時のユダヤ人の間の死生観では「今日」パラダイスに入るのはおかしくないので、イエスはクドクドと説明できないし相手も聞きたくないので、
サラっと「今日わたしと一緒に楽園にいる」と方便を言ったのでしょう。

第22章 1-71 最後の晩餐、後入れ [ルカ伝]

19前
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And he took bread, gave thanks and broke it, and gave it to them, saying, "This is my body given for you
それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。
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恐らく原本ではここまでらしい。
新共同訳では、以下も追加されている。


19後
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;do this in remembrance of me."
わたしの記念としてこのように行いなさい。」
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これは、コリント書11:23-25である。そもまま挿入している。
イエスが自ら「この儀式を記念として行え」と言うとは考え難い。

弟子たちが儀式を行うに際してイエスの権威を借りたのだろう。
まぁ、このあたりはどこの組織にでもありそうな光景でありますが、、。

第21章 1-38 自称再臨イエス [ルカ伝]

世界中にいるようだ。

8
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He replied: "Watch out that you are not deceived. For many will come in my name, claiming, `I am he,' and, `The time is near.' Do not follow them.
イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。
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私が思いついたのは、2名だけだった。
少し調べてみると、韓国には50人いるらしい。

この節のことを生放送で質問してほしいですね。

第20章 1-47 復活の根拠 [ルカ伝]

イエスは、「復活」の質問に答える。

38
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He is not the God of the dead, but of the living, for to him all are alive."
神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」
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その根拠を出エジプト記から引用する。

出3:6
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Moreover he said, "I am the God of your father, the God of Abraham, the God of Isaac, and the God of Jacob."
また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。
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神の側に3人は居るので、神はモーセにああいう言い方をされた。
だから天にて生きている以上、また降りてくることもあるだろうと考えることもできる。
と、イエスが聖書を記憶していて、34-38で証明した。

今日の日本人ならこれで納得はできないだろうが、
当時のイスラエルなら納得せざるを得ないのでしょう。

第19章 1-48 「全額」「半額」と救い [ルカ伝]


18章の議員に対しては「全財産を施せ」と言ったが
取税人のザアカイは「半分」だった。

8
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But Zacchaeus stood up and said to the Lord, "Look, Lord! Here and now I give half of my possessions to the poor, and if I have cheated anybody out of anything, I will pay back four times the amount."
しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
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ザアカイは自ら悔い改めて言ったので、それで良かったようだ。
議員は「半分」と指示されて実行しても、悔い改めたことにならない。

第18章 1-43   不純な動機 [ルカ伝]

ある裁判官が、揉め事があった寡婦から裁判を執拗に頼まれた。
彼は思った。

4-5
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`Even though I don't fear God or care about men,yet because this widow keeps bothering me, I will see that she gets justice, so that she won't eventually wear me out with her coming!'"
『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
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彼は、その寡婦の懇願に負けた。
寡婦から多額の報酬を期待できる訳でもなく仕事をしてやるので、善行ではある。

しかし、動機において、「めんどう」なことになるだろうという、
それだけの理由だった。


ともかく彼女は助かった。これは必死に懇願すれば神は聞いてくださるということなのだろう。
が他面、裁判官の動機も神はチェックしておられるということでしょう。

第17章 1-37 神の国 [ルカ伝]

イエスは答えた。「神の国は見える形では来ない、

21
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nor will people say, `Here it is,' or `There it is,' because the kingdom of God is within you."
『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」
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「見える形でない」ということは、「心の中」なので「within」を「間に」と訳しているが、「中に」でしょう。

日本語訳聖書は、「中に」と「間に」で分かれているようだ。
が、英語翻訳である。原典を読まないと分からないが、私には荷が重い。
この辺で許してください。

第16章 1-31 先祖のご加護 [ルカ伝]

豊かな生活をしていた男が、死後、黄泉で暮らすこととなった。
自分を救ってくれるようアブラハムに頼むも、拒否される。

自分のことを諦めた男は、兄弟のことを心配した。


28
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for I have five brothers. Let him warn them, so that they will not also come to this place of torment.'
わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
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私は、「この依頼は、ひょっとして」と思いました。

次の29-31の答えで、

「ごもっともです」と苦笑する。


「先祖のご加護」という考えは基本的に無いのでしょうね。

第15章 1-32 放蕩息子の例え [ルカ伝]

2人の兄弟がいた。弟は生前に相続分を求めた。
長男は倍なので3分の1だったようだ。

弟は換金して外国へ遊びにいき、全て使い果たし、戻ってくる。

父は喜び祝宴を開く。兄が怒ったのも道理ではあった。


32
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But we had to celebrate and be glad, because this brother of yours was dead and is alive again; he was lost and is found.'"
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
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問題児だった方が救われ、幸福が大きい。そういう例えだそうだ。