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十字架のことば(8)―第7のことば:信頼の祈り― ルカ23:44~49 [Harvest Time Ministries]

(2013日)正午となり、暗闇となった。3時まで続いた。
そして、神殿の幕が裂けた。

以前の私は、この箇所を全く重視していなかった。
全く受け入れていなかった。

が、多くの意味があった。

暗闇は、イエスが神と切断された状態であることを示していた。
ということは、イエスの内側では神を感じることができず、
霊的にも肉体的にも苦痛の絶望が襲う状態だったのでしょう。

にもかかわらず、イエスは、4つの言葉を残された。

最後は、「父よ。わが霊を御手にゆだねます」だった。

本当は、父なる神は、子は愛しい我が子であるが、
一時的に関係が切断された状態となったのでしょう。
十字架刑となれば、紀元前なら並の神経では父に見放された絶望状態に陥るでしょうが、
イエス様は、それでも父の御手に委ねると口にされた。

死の瞬間、絶望だったとする解説もある。
その場合は、絶望で肉体的な死を遂げた瞬間に、
神様に霊が救われたと考えるそうだ。

私に確信はありませんが、後者だと思いますね。


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十字架のことば(7)―第6のことば:勝利の叫び― ヨハ19:29~30 [Harvest Time Ministries]

(2013日)イエス様は「完了した」と発せられた。

3つの意味があった。

①父から受けた使命の完了
②旧約の祭儀法が完了
③私たちの救いの完了

これは、満足しているのでしょう。

もう少しして、息を引き取るが、
イエス様はその後の展開が見えていた。




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十字架のことば(6)―第5のことば:苦痛の叫び― ヨハ19:28~29 [Harvest Time Ministries]

(2013日)イエス様は「わたしは渇く」と言われた。

ここからイエスは神であり人でもあった。
他人にパンや水を与えることのできる方であるが、
渇きを覚えられた。

十字架上で死ななければならない以上、
人間として十字架上で振る舞われたということでしょう。

イエス様は罪の無い方であるが、他人の痛みは
魂の痛みも肉体の痛みも経験なされた。
よって、私たちの苦しみ・痛みも理解してくださる方である。

私たちは神との仲介者であられるイエス様に感謝し、
生きていかなければならない。
さもないと、異端や間違った教えに流されてしまうということだ。


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十字架のことば(5)―第4のことば:絶望の叫び―マタ27:45~46 [Harvest Time Ministries]

(2013日)イエスは十字架上で7つの言葉を残された。
9時から12時までに3つ、午後は3時までに4つ残された。
前半は他者のための言葉。午後はご自身のことだった。

今回は、

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

という言葉の解説。

ここだけなら絶望の叫び。
が、これは詩編22の頭の部分。
後半では、勝利となっていた。

この言葉を発せられた時は「勝利」であり自分の死を「栄光」と理解しておられたと思いますね。


アダムの罪により人類は罪人となったが、イエスが人類の罪を買い取られた。
買う資格のある者は罪なき者であり、それが可能なのは神の子しか存在しない。
最後のアダムたるイエスに全人類の罪が転嫁された。



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『クリスチャンライフ、この麗しきもの(2)』 [Harvest Time Ministries]

(2011日)これほど聖句を確認したことはなかった。
20か所以上だった。時間がかかったが、よかった。
聞くだけでもよかったが、自分で目でも確認する。
かつての自分では信じられない行為だった。

まさに今日のテーマである「新生」だった。

信じた瞬間に、聖霊のバプテスマを受け、新生し、神の子とされる。
同時に試練も与えられる。
キリストと共に死に、葬られ、生かされ、苦しみ、栄化され、共同相続人となる。

この希望が与えられ、人類は万人の闘争状態ではなく、
倫理的道徳的社会が形成され、向上していく。

が、キリスト教は人間が道徳的に生きることを目的とする宗教ではない。
信仰に敬虔であれば道徳は付随してくるということなのでしょう。


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『聖書が教える逆転の発想』 [Harvest Time Ministries]

(2008日)アメリカでは、保守とリベラルでは、保守層の方が所得が低くても
献金や献血の量が多いそうだ。

また、
「仕えられるためではなく、仕えるために」 生きなさいとイエスは言われた。
それを韓国のクリスチャンは楽しく実践していたそうだ。


また、ある日本人の方は、父の遺言で「出世しろよ」と言われ、
それもあり、努力を重ね、一般的意味で成功者となった。
が、あるきっかけで、詩編と出会い、クリスチャンとなり別人となった。

3つのお話しを聞かせて頂きました。
私は初耳で、特に3番目の方のお話しは、
私にもあった緊張感が少し溶けました。


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十字架のことば(4)―第3のことば:愛のことば― ヨハ19:25~27 [Harvest Time Ministries]

(2012日)十字架上のイエスの周りには、母マリア、とその姉妹、
クロパの妻マリアとマグダラのマリア、とヨハネがいた。

死の間際、イエスは、母とヨハネを親子関係にした。
母への愛であり、弟子ヨハネにとっては最大の栄誉でもあった。

そのことで、イエスとの親子関係を切った。
それは、母マリアにとってイエスは息子ではなくなり、
信仰の主イエス・キリストとなった。

ここから、母マリアは聖書にも登場しなくなり、
信徒の一員となった。
むろん、ヨハネは大切にお世話をしたのでしょう。

ここから母マリアは崇拝の対象ではない。
母マリアの息子への愛から信仰の愛へと昇華したことから、
十字架上で死を迎える息子を見守る悲劇の母ではあるが、
この親子関係の変化で、悲劇の苦痛・悲しみも昇華したのでしょう。
そして、母マリアが神の子となって救われることなる。

今日、愛の飛躍を知ることができました。
主の御名を賛美します。



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第3章 1-30 朝令暮改 [ダニエル書]

ネブカデネザルは金の像を拝めと命じたが、
ユダヤ人は聞かなかった。

火の中に入れたが、彼らは平気だった。

それを見て、ネブカデネザルはイスラエルの神を恐れ認めた。

29
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Therefore I make a decree, That every people, nation, and language, which speak any thing amiss against the God of Shadrach, Meshach, and Abednego, shall be cut in pieces, and their houses shall be made a dunghill: because there is no other God that can deliver after this sort.
それでわたしはいま命令を下す。諸民、諸族、諸国語の者のうちだれでも、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしる者があるならば、その身は切り裂かれ、その家は滅ぼされなければならない。このように救を施すことのできる神は、ほかにないからだ」。----

神の力を認め、即断した。

出エジプト前のパロは10回程の奇跡でやっと諦めたが、
ネブカデネザルは賢明だった。
この瞬時の判断は素晴らしいと笑えましたね。

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#11列王記第一【60分でわかる旧約聖書】 [Harvest Time Ministries]

(2015日)列王記はサウルを除いたダビデ以降の王の記録。
今回は、ダビデとソロモン。

ダビデは一度、妻の元夫を殺したことがあったが、
他は従順だったため、主はダビデを愛し、以後、ダビデがスタンダードとなる。

王たちは神からの委託を受けた統治者だが、
即位の段階では前王や軍、民からの承認があり王となる。
これ自体が神からの委託にあたるのでしょう。

が、治世は王の責任であり、神から離れれば、
預言者が矯正しようとし、受け入れなければ罰が下る。

現在もそうだが、個別に悪が蔓延ろうが、
大きく見れば、神の道徳的世界・倫理的世界に近づいている。


ソロモンの治世で大きく聞き逃したが、再度、その箇所を聞き直すことにします。



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クリスチャンライフ、この麗しきもの(1) [Harvest Time Ministries]

(2011日)聖書が教える救いとは何かを、4回に分けて解説する。

救いは、福音の3要素を受け入れることで与えられる。
その3要素を受け入れたこと自体が神の「恵み」の結果となのでしょう。


すなわち、

「イエスが人類の罪を贖うために十字架で死に、墓に葬られ、3日目に蘇ったこと」

に同意することで救いとなる。


「救い」=信仰+恵み+ゼロ


とのことだが、本来これに加えてはならないが、
ついつい「洗礼」や「行い」を条件のように言ってしまいがちなのでしょう。

私は洗礼式の儀式中に、「これで」罪が許され魂が救われたと確信を得ることができました。おまけに悪夢が激減するという効果もありました。
よって、私のブログでも「つい」洗礼にて救われたと書いたこともあります。

原理的なところを再確認できます。


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